ゲーム記事ばかり書いていましたが、少し視点を変えて「副業」方向から見た「ゲーム課金」について論じてみます。
ゲームは貧乏の始まり
まずは、そもそもゲーマーは貧乏にしかなり得ない、ということについて。
ゲーマーがお金を稼げない特性
まず、ゲームをプレイする、ということが生産性の薄い、つまり「貧乏の始まり」だということについて説明していきます。まぁ、実体験です。
ゲーマーが稼げない理由
- お金の浪費
- 時間の浪費
- コミュニケーションの渇望
- 低い自己意識
- 自己抑制できない
- お金を必要としない価値観
以上6点を理由に、ゲーマーは本質的に「お金持ちにはなれない」と考えられます。
あくまでも一般的にゲームをしている層の、特徴的な部分をさらに誇張して表現しています。ですが、本質的には金稼ぎとは無縁の人種とはいえます。
それなのに、無料配布石とかについてはとやかく言う、不思議な性質もありますね。と言うか、貧乏性というか、ケチというか。
私だけかもしれませんが、ケチケチした行動をとっておきながら、意外と散財するのはゲーマーの特性なのかもしれません。
お金の浪費がひどい
まず、本題からいいますと、課金しようが課金しまいが、ゲームをしていること自体が「金持ち」になるベクトルと真逆をいく行動です。その一つに、「お金の無駄遣い」があります。
価値のないものにお金を使ってしまう、いわゆる「キャッシュ(現金)」を「トラッシュ(ごみ)」に変えるのが得意なのは、ソシャゲ系のゲーマーでしょうね。
データにお金を払うとかあり得ない
これは古い価値観でもありますが、データのために課金する」こと自体が、ゲーマー以外の人たちからすると信じられない行動です。
強いデータなんて消えたらおしまいじゃん。ゲームやめたら何にも残らないじゃん。
こう考えられるのは、ある意味では当然です。
強いデータを作るために、キャラを取得するためにガチャを回したりスタミナを回復したりすることに課金している時点で、外部の人間からは「こいつはクズだな」と下に見られることはよくあることです。というか、私は職場の休憩所で毎日見下されて生きています。
運営の思うつぼ
この「全く意味のないことにお金をつぎ込む」行動は、ゲーム運営会社からすると本当にありがたい行動です。
一度強化し始めたデータを「捨てられる」人はほぼいません。なので、少しずつデータを追加したり、いじったりするだけで、さらにお金が引っ張ってこれるので簡単な商売です。
もちろん、このデータはステータス値だけではなく、キャラクターの魅力であったり追加ストーリーであったり、あるいは対人要素を入れてユーザー同士で競わせたりするコンテンツのことです。
コンテンツがなくても空箱で売れちゃう
魅力的なコンテンツであることがベストではありますが、先に述べたように「課金したデータ」は捨てられないので、中身のない追加コンテンツですら追加課金を呼び込む餌になるので簡単な商売です。
社会的に評価されない消費行動
先にも少し触れましたが、ゲーム課金自体、社会が評価するものではありません。
「俺、ゲームでランキング1位になったんだぜ」と同僚に話したところで、あなたの評価は上がるばかりか距離を取られたり、頭の悪い奴だと陰口を叩かれたり、ガチャ好きで「10万課金しちゃった」なんていえばギャンブル好きな奴と思われる可能性があります。
ゲーマー同士なら繋がりが深まりますけどね。社会的にはあまり意味のないランキングです。
ゲームは一生辞めない
あと、ゲーマー以外の人には信じられないかもしれませんが、「ゲームはやめない」ものです。
ファミコン時代とは違い、買い切り(コンシューマー)型で「クリア=ゲーム終了」という区切りはなくなりつつあります。
ゲーム自体が終わらない
ひとつのプラットフォームが築かれると、そこにコンテンツを投入し更新していくことで長くユーザーはゲームの世界で楽しむことができます。また、ユーザーは飽きたら別のゲームをするわけですが、課金したデータは確かに無駄にはなります。
でも、それって他の趣味という名の散財と変わりないよね。
飲み会行ったって、スキーに行ったって、残るのは思い出だけ。ゲーム課金と大差ないよね。
飲み会は人脈ができるとかいうけど、私のような人間は行ったって人脈どころか会話もできませんけどね。
もうゲームだって家にこもって一人でやる、というよりはたくさんのユーザーと一緒に遊ぶものだから、思い出が作れない、とかとも違うしね。
データにお金をかけるのは無駄ではない
データにお金をかけるのは無駄、というのは古い価値観だと触れました。少しだけ補足説明します。
データこそお金をかけるべき時代に
まず、これから先はほとんどのコンテンツが「データ」の売り買いになります。
というか、そもそも古来より「本」を買ったりテレビを見たりするのだって「情報≒データ」の取得のためだったわけですから、課金対象が「データ」であることはそれほど大した問題ではありません。
むしろ、固定観念に縛られて「必要時に必要なデータを購入できない物質至上主義」は身動きが取りづらそうだね。
データの方が保証されやすい
物は場所を取るばかりか、無くなったら復旧できませんが、データはどこかしらに存在していたり、保有権さえあれば再取得が可能なので却って価値の高い物、とも考えられます。
時間の浪費が一番の問題
実は、先に述べた「課金」云々は、大した問題ではありません。
むしろ、根本的にクリティカルな問題なのが、「時間の消費量が他のアクティビティに比べて圧倒的に多い」ことが問題なのです。
ゲームが要求する時間消費量がやばい
どこでも手軽にできるゲームは、レベル上げという作業さえしてしまえば、誰でも「強く」なれます。逆にいえば、ゲームデータを差別化させるのは(特殊な事例を除いて)「プレイ時間」です。
お金を時間に変える
そのため、ゲーム運営側としては、「時間短縮」を課金対象にします。逆にいえば、時間短縮アイテムが売れるように、レベル上げのための周回作業量を増やすことで売り上げを増やしていきます。
後述もしますが、この辺りのバランスの取り方がうまい人はゲームを楽しめますし、価値観がガチガチの方は「絶対課金しない!」だとか「最強を目指さないとゲームじゃない!」だとかで、不必要に「時間」か「お金」を浪費します。
スタミナ無制限はいいゲームではない
最近は減ってきましたが、かつてはゲームプレイ時間を限定することで、もっとゲームしたい人からお金を巻き上げていました。
これが、最近はスタミナを廃止したりして「ずっとできる無料ゲーム」も出てきました。カードゲーム系はスタミナなしで遊べますし、RPG系もスタミナ概念のない、何かしらの作業はできるようになってきています。
ずっとゲームができるのはお得なような感じがしますが、スタミナ無制限は言い換えると「時間を無制限に浪費させる」ことが目的なわけです。運営の目的としてはプレイヤー人口を維持したり他のゲームのプレイ時間を奪って拘束することで、顧客を逃さないようにしているわけです。
時間>>>>>>お金の価値観
少しだけ真面目な話をします。無課金ほど貧乏から抜け出せませんし、微課金なんかはもってのほかです。その理由について説明します。
まず、お金至上主義の考え方は危険です。これは、特に無課金ゲーマーに多い。。。
圧倒的に大切なのは時間
時間は平等です。金持ちにも貧乏人にも、平等に24時間与えられています。しかし、生き方に差が出るのは、人々が「お金を稼ぐために時間を浪費しなければいけない」という環境にいるからです。
資産とお金と時間の関係
一世代前までは、時間よりも「資産」が大事でした。というのは、資産はお金を生み出すからです。お金さえあれば現代社会は簡単に生きていけるので、「資産」=「お金」が大事、という価値観が絶対的でした。
私のような貧乏人は「資産」と「お金」を混同しているので、お金さえ大事に持っておけばなんとかなると思って、上手に使うことができません。
挙げ句の果てに、「収入」が固定されているため、得られるお金のなかでやりくりしていかなければならない、無駄なお金は使えない、ということで、時間を浪費して節約する愚行が「美徳」として考えられてきました。
お金でも時間は買えない
さて、ここで「課金」の価値観が大事になってきます。無課金のヤバいところは、1万円で購入できるアイテムのために、楽しくもない作業を10時間も20時間もゲームに張り付いているところです。
頭の良い人ならすぐに気づくはずです。
5時間働けば1万円くらい稼げるんだから、アイテム買って5時間得したほうがいいな。
廃課金のヤバいところは、価値のないものに無制限に課金してしまうところなのですが、これはいったん置いておきます。
でも、5時間で1万円なんて稼げないし、机上の空論じゃね?
無課金の正論ですが、これゆえに、無課金ユーザーの大部分は貧乏から抜け出せない性質を持っているといえます。
大事なことは、いくら課金するかとかではなく、お金の価値観がバカになってコストとして使えないこと。そして、コストを惜しんで大切な時間を浪費していることです。
つまり、課金しないとできないじゃねぇかよなんてウダウダ言ってるよりも「課金できない」状態にあるのがやばい、ってことに気づかないのが無課金のやばい性質ってことですね。
時間の価値観を見直す
ただ、ゲーム=悪というわけではありません。
むしろ、ゲームをすることで幸福度が高まるなら、積極的にやっていくべきです。好きなものは論理を超えて好き。ゲームをしていることが心の支え。私も悟りましたが、人生とゲームを切り離すことはできません。なので、ゲームをして「幸せ」ならゲームをするべきです。
幸福濃度を薄めないための工夫
しかし、ゲームはWHOも「依存症」として取り上げるくらいに危険なものでもあります。
「お金」の問題と、「時間」の問題に加えて、「心の問題」も絡んでくるからです。依存的になってくると、ゲームをしていても「幸福度」はあまり高くない上に、なんだったら「心配」「焦燥感」「イライラ」などの負の感情も高まります。
なので、ゲームと上手に付き合うにはゲームをしている時の「幸福度」の濃度を下げないように工夫することが大事というわけです。
幸福度の高いゲームとの付き合い方
- ゲームをする時間を決める
- 投与する金額は事前に決める
- 1ヶ月ごとにプレイするゲームは必ず変える
- ゲームから学びとれることは学ぶ
- プレイヤーとのコミュニケーションも楽しむ
- 「ゲーム外」の活動につなげる
時間とお金のことは先に述べましたが、加えて、「ゲームから学べること」もたくさんあるので、とにかく吸収していくことです。
ゲーム外の活動とは
例えば、依存症の問題になると、ゲーム断ちして、該当するゲームをアンインストールすれば一時的にゲームから離れることはできます。
ただ、根本的に依存傾向にある特性に変化はないので、どこかのタイミングで再度依存するリスクはあります。ゲーム断ちは依存対象を変えるだけの行為にとどまる可能性があります。
私のように発達障害でADHDなんかあると「過集中」で「短絡的な行動」を取りやすいからガチャ依存とかになりやすい。だから私はガチャには課金しないという鉄の掟があります(確定召喚などの回数限定だけ楽しむ、ちょっと課金してもう一回ガチャ回そう、とかはしない)
ストレス負荷に弱い方は、ストレス対象から逃げるためにゲームに依存しやすい傾向にあります。この場合は、ストレスにさらされていない場合、ゲームから離れることができますが、ストレスになることが増えるとゲーム依存が復活することが多いです。
また、対人でのコミュニケーションが苦手な、いわゆるコミュ障の場合は、仮想空間(ゲーム世界)なら安心できる場合もあります。
ゲーム自体が癒しとなっており、自己発揮できるのであればそれは良い状態です。
他の趣味につなげる
私はTwitterなんかもブログ運営の一環でやっていますが、Twitterにはゲーム専用垢が転がっています。
アルカラストあたりはファン層の熱が強い上に、イラスト作成などしている方の投稿もあったりと、本当に楽しくゲームを楽しんでいるな、と嬉しく思います。
イラストなんかはみんなが描けるわけじゃないけど、例えばそのイラストにいいねしたりすることで、新しい交流が生まれたりもします。これは、ゲームをきっかけとしてゲーム外への活動へとつながるのでいいと思います。
コミュニケーション障壁の緩和剤に
また、先の依存の問題もありますが、孤独感・疎外感が強い場合、一人で取り組めるゲームは取り組みやすい趣味になり得ます。
ソシャゲなんかはどうしても課金を煽るためにユーザー間で競争させがちですが、これからのゲームは「遊び場」をユーザーに提供して居心地の良い空間づくりに取り組んでいくはずです。交流を楽しむ、というゲームのあり方でも楽しんでいけるはずです。
無課金が一番幸せという極論
さて、長々と書きましたが、結論を言えば「無課金が一番ゲームを楽しめる」ということです。
課金はゲーム寿命を短縮するだけ
私は今は幻影戦争くらいしか熱心にプレイしていませんが、いくらか課金して後悔もしてきました。
幻影戦争に限らず、ほとんどのRPGは課金すれば「強い」データにすることができます。大体のゲームは強くすることで「難度の高いクエスト」を攻略することができるようになります。ここがつまり楽しい部分なのですが、課金は結局、この期間を短くしているだけです。
微課金は一番損している
また、この「無課金縛りプレイ」の中で言えることは、微課金が一番損している、ということです。
攻略難易度を下げるために課金するのは「ゲームを楽しむ」から反すること。とはいえ、他のプレイヤーに負けないための課金はキリがない。
全てが中途半端になる点で、微課金にメリットはひとつもないとも言えるね。
PVPは金食い虫
対人要素は無制限課金地獄です。ユーザー同士で競わせれば、コンテンツの内容なんぞ関係なく負けたくないユーザーは課金します。これが稼げてしまうもんだから、運営は馬鹿の一つ覚えにランキングコンテンツをリリースするし更新するし、報酬として用意するデータのインフレが加速します(結果としてゲームバランスは崩れます)。
この競走からは早々に手を引いたほうが、時間もお金も節約できます。そして、PVPは「オレツエー」がしたい人は確かに楽しいかもしれませんが、上には上がいるのでキリがないし、戦うステージが上がるだけで満足度はどのステージでも変わりません。
DGGは特殊
課金の意味合いでは、デジタルカードゲームだけは特殊です。これは、カードを揃えるコレクション性もありますが、基本的にゲームを楽しむためには「必要なカード」を手に入れる必要があります。つまり、スタートするにはほとんどの場合は課金する必要があります。
今は、無料でカードパックも手に入るので、無課金でもある程度までは楽しめます。ただ、DCGはゲームプレイングで楽しむのが基本なので、カードを揃えるのを楽しむだけではユーザーは長く続けません。
しかも、DCGの場合はユーザーの理解度・スキルも問うわけで万人受けは絶対にしません。いわゆる濃い客層が残るので、なんやかんや金蔓は確保しやすいのですが、ライトユーザーには敷居の高いジャンルではあります。
つまり、運営は力を入れても他のポチポチゲーより稼げない、なんてことになりやすいジャンルってことね。
微課金こそ課金額をコントロールできない
自戒ですが。
流石にお小遣いを超える範囲での課金はしないものの、「お得な商品が出れば買う」というのはソシャゲの悪癖です。
だって、お得かどうかは運営が簡単に操作できるからね。
無課金はゲームを楽しむ上での最高の「縛りプレイ」
さて、いろいろ書きましたが、結局のところ、「無課金」という縛りプレイでゲームを楽しむのが一番です。課金はすぐに強くなってつまらない。攻略したいコンテンツ(例えばストーリーを全部読む)を決めて、その目標に向かってゲームを楽しむのが一番です。
時間とのお付き合いを大切に
ただ、無課金は同時に「時間の浪費」とのバランスの取り方が大事です。ただ、無課金であるということはPVPなどのランキングコンテンツとの決別も意味するので、無駄な周回はしないことにも繋がります。無駄なことやってると思ったらアカウント消しても痛手が少ないのはいいことです。
無課金プレイヤーからゲーム運営が儲かるには
ただ、無課金プレイが金銭的にも精神衛生的にもお勧めだと言い過ぎると、ゲーム運営が儲からないので困ったものです。
お金が入らないことにはコンテンツの作ることができないからね。
なので、無課金からもお金を引っ張る工夫がゲーム運営には必要なわけですが、この辺りはこの記事から逸れるのでこのくらいに。
コメント
「変わり 変わり 果て 新しい」に関する最新情報です。
アンパンマンのチョコレートが暑さで溶けてしまった様子が話題になっています。ゲーム制作者のasatteさんが、自宅のお菓子棚で発見したアンパンマンのチョコレートが変わり果てた姿をSNSに投稿し、多くの反響を呼びました。「呪霊になってしまった」と表現したその画像には、13万以上の「いいね」が寄せられ、コメント欄にはユーモラスな反応が多数寄せられました。特に「早く新しい顔を」という声が目立っています。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_66b08c4fe4b022eb04a9e824
ゲーム課金はアカーンに、おおよそ賛成です。でもよく言われていることですが、「ソシャゲもまあ一つの趣味」と考えればそれほどダメな行為、無意味な行為でも無いと思います。たとえば趣味が自動車でのサーキット走行という人も、その趣味に興味無しの者からしてみれば、「ラップタイム0.1秒短縮出来て何の意味あんの?死ぬ危険性の高い、割に合わない遊びじゃん。」となりますから。人生に影響しない程度に、ほどほどに遊びたいですね。
無課金王さま、コメントありがとうございます。
私自信の戒めとして書いている記事なので、実際私はちょっと課金したりしますし、趣味の範囲で楽しむ分には他の趣味と同列というのは大いに賛成です。
ただ、ゲームに関しては「依存性」が少し厄介。ゲーマー本人たちが「趣味だから」「コントロールできているから」と自己評価していても、実は脳の認知の歪みがはじまっていて客観的に見たら既に「依存状態」であることは多々あります。本当のことを言えば、時間投資と資金投資の両面から「自分にとって本当に大事なことをしているのか」を評価するべきなんですけど、その客観性が既に依存に片足突っ込んでいるゲーマーたちには保持できないんですよね。
私としては、この「ゲーム依存」に、ディベロッパーたちが率先して引き摺り込もうとしているソシャゲの構造もなかなかの闇だな、と考えています。法規制がない分、ギャンブルよりもタチが悪いと言えそうです。
基本的には本人が好きなように時間やお金を使ってゲームを楽しめばいいと思いますが、「時間の浪費」と「中毒性」に関してはちょっと啓蒙してもいいのかな、と思うところもあり記事にしたのでした。